ドーバー海峡
三○トンか五○トンくらいの小さな木製の船だった。ちょうど荷を降ろした帰りで、キャビンも船倉もからっぽ。これが悪かった。地図で見れば、ドーバー海峡なんて、フランスとイギリスの間を、ほんのちょっと区切っているだけに見えるが、後で聞くところによれば、三日に一度は嵐が吹き荒れるといわれるほどに荒々しい海峡だという。私が船に乗り込んだときが、どうもその三日に一度の日に当たっていたらしい。港を出るときはよかったのだが、しばらくすると、船が大きく揺れ始めた。外は激しい雨と風。しかし、船乗りたちはみんな笑っている。「ドーバー海峡は、いつもこんなもんさ」といったところ。私は、そうかこんなもんなんだなと、船酔い以外、ざほど不安も感じていなかったのだが、そのうち揺れがますます激しくなってきた。と、思ったとたんメリメリメリーッ、ミシミシッと、船がものすごい音を立て始める。あわてて甲板に出ようとすると、海水がバシャーッと入ってきて、船員の一人が「バカャロー、中に入ってろ-!」と叫ぶ。その顔からは完全に笑顔が消えていた。吐き気をこらえて船室に戻ると、中では船員が慌ただしく立ち働いている。そこらにあるものを、あちこち転がらないようにロープで縛りつけたり、扉に鍵をかけたり。それが済むと、今度は甲板に出ていった。私はといえば、すでにその日、口にしたすべての食べ物を、船室の床にぶちまけていた。その上は、やたらとつるつるすべる。まったく不甲斐ない。