共産主義国家、社会主義の現実の庶民の姿
はるか向こうの、何とか囲い壁が残って個室の様相をなしている便器だけは、まだ流れているのだろうか?大勢の人が用を足しながらこちらを見ている。くわしくは観察しようがない。私も、無言の暗い顔で用を済ませ、ふり返ると、毛が抜けたT字型のデッキブラシの親玉のような器具を持ったおじさんがやってきて、便器のうえの山を床に落とし、一カ所に集めていった。それは、清掃というにはあまりにも大雑把なものだったが、それ以外にこれといった方法もなかったのだろう。我に返ってみれば、小便器や鏡は一つ残らず持ち去られていた。これが、共産主義国家、社会主義の現実の庶民の姿なのか?……。それにしても、私も愚かである。どうして、ソ連に入ってすぐにおかしいことに気づかなかったのだろうか。だいたい、カメラをぶら下げて歩いていれば、どこからともなく人が現れて、「売ってくれ」の行列ができる。紐か何かでくくった、分厚い大量の札束を押しつけてきて、強引に「これと交換してくれ」と迫ってくる。私がトランジスタラジオを持っていると知ったときなどは、のどから手が出るほどほしいとき、人はこんな顔になるんだと思うほどで、何でもいいからニュースを聞きたい、ほんのちょっとでいいから情報を手に入れたいという人々の渇望きえ感じた。ソ連は、そのころからインフレと物不足、情報不足の悩みのなかにあったのである。その後、原子さんには、お目にかかることができなかった。